「就活は人格否定でもなんでもない」?
今日は就活負け組の私から、人生の大先輩が書いたブログに反論をしていきたいと思います(´ω`)
こちら>>>
キャリアタレントCEOブログ 「就活は人格否定でもなんでもない」
https://www.google.co.jp/amp/gamp.ameblo.jp/career2014/entry-12063670630.html
内容を要約すると…
・「キャリコネ」の記事にけしからんのがあった
・結論は意味分からんけど、とりあえず企業の採用のあり方を批判してる
・その批判は筋違い甚だしい
てきな
そのキャリコネの記事は
こちら>>>
結局、誰も「いい人材の見抜き方」は分かってない 不採用が「人格否定ではない」理由
https://www.google.co.jp/amp/s/news.careerconnection.jp/?p=15350&=1
単純に、就活(新卒採用)の面接そのものの意味を全否定している記事と、それに対する反論の記事
という構図です。
冷静に見ると、キャリコネ様の記事は就活で落ち込んでいる学生をただ励ます為だけの記事である事が伺えます。
その為、その内容は論理にやや欠陥部分があります。
しかし、私としては
それでも就活ビジネスで食べている人の中には「5分も話をすれば使える
人材かどうか分かる」「いや3分で十分だ」などという人もいます。
しかしそれは思い上がった態度としか思えないというのが、私の考えです。
というキャリコネ様の主張に共感を覚えた部分があったので、 キャリアタレントCEOブログ 様に無礼ながら反論をしていきたいと思います。
--------------------ここから私の反論です------------------------------
まあつらつら書いても仕方ないので、キャリアタレントCEOブログ 様の主張の矛盾点をとりあえず指摘していきます。
[キャリコネ]
それでも採用者側は、自分たちが思い込んでいる不確かな基準をなかなか変えようとはしません。そればかりか、面接相手を小ばかにしているのではないかと思えるような、いい加減な基準で学生を振り分けている人もいるのです。
「異性と付き合った経験がある人は、コミュニケーション能力が高い」
「箸の持ち方がきれいな人は、仕事もきっちり仕上げる傾向にある」
「成功体験がある人は、社会人になってからも成功しやすい」そんなわけがあるか!と怒りを覚える方もおられるのではないでしょうか。
正直なところ、これらの基準については私も現実的ではないと考えています。
このような選考基準では、優秀な人材との縁をみすみす逃すことになると私には思えてなりません。
[キャリアタレントCEOブログ]
「首を傾げたくなる基準で採用する会社もある」と言っていますが、
異性と付き合った経験がない人よりもある人のほうが、相手のことを思いやれるでしょうし、箸の持ち方が汚い人は、接待などの仕事で恥をかくでしょう。また成功体験のない人は、社会人になってからも何が成功なのかわからないままでいる可能性が高いと思います。
「これらの基準については私も現実的ではないと考えています」と
おっしゃっていますが、十分に現実的だと思いますが、違いますか。
孫引用のような形になってしまい、非常に読みづらい事に関しては申し訳ないです。
例となる三つの採用基準(①異性との交際・②箸の持ち方・③成功体験)について現実的か・現実的でないかの議論です。
明らかに議論の論点がずれいています。
以下①②③に分類して見ていきます。
まずは②について。
特に酷いのは「②箸の持ち方」ですね。
「箸の持ち方が綺麗な人は仕事もきっちりこなす傾向にある」という命題(主張)においての「仕事」という言葉は、明らかに仕事全般についてのことを指しています。
キャリコネ様は仕事全般の能力を箸の持ち方という極わずかな癖を見て判断をするのは明らかに論理的には飛躍していますし、統計的な根拠も示されていない単なる経験的推論である事を批判しています。
一方のキャリアタレントCEOブログ様は、「箸の持ち方が汚い人は接待の仕事で恥をかく」というのは
言っていることは明らかに妥当で正しい事です。
しかし、反論としてはズレています。
キャリコネ様は箸の持ち方一つでその人の仕事(全般)をきっちりやるか、という事まで広げて推測し解釈している事を「現実的でない」と批判しているのに対し、
箸の持ち方と接待という同レベルで妥当な論理の展開で反論しています。
例えば箸の持ち方が綺麗な学生を見たときの両者の判断を比較すると、
前者は「仕事をきっちりこなす学生」
後者は「接待で恥をかかない学生」
という差異が生まれています。
ただ、少し考えて見ると…
面接官というのは接待で恥をかくかどうかで採用・不採用の判断をしているのでしょうか。
そういうレベルの議論でないのは、他の命題(主張)を見ても明らかだと思われます。
「異性と付き合ったことがない人はコミュニケーション能力が高い」という命題においても「コミュニケーション能力」という大きな能力を判断しようとしていますし、
「成功体験がある人は社会人になってからも成功しやすい」という命題も「成功」という、かなり抽象的で大きな事を判断しようとしています。
そんな中、「接待で恥をかくか否か」は非常に小さな問題です。
「仕事(全般)をきっちりこなせるかどうか」を判断しようとしているのです。
次に①の「異性との交際」について。
こちらも経験的推論に基づいた解釈です。
反論自体は、根拠のない命題に対して根拠のない命題で反論しているだけですね。
「異性と交際をした事がある人の方が相手を思いやれる」というのは、統計データを明示している訳でもなく、仮にあったとしても統計的な推論で判断して面接をしている学生自体に向き合っているとは到底言えません。
確かに「相手を思いやる」ことは「コミュニケーション能力」の大切な一部であるので、その点は強い関連があると思えます。
また異性との交際のなかで「相手を思いやる経験をした」という事実があると考えるのはかなり妥当だと思います。
しかし、コミュニケーションには自分のことを伝える能力など他にも大切な要素がありますし、異性との交際以外にも相手を思いやる場面というのは無数にあります。
③の「成功体験」においてもそうですが、キャリコネ様は
3つの命題はすべて一部の事象を経験的推測によって過度に一般化し拡大解釈している
という点が問題視されている事が分かります。
一方でキャリアタレントCEOブログ様は
その経験的推測を自明性を主張しているだけで
その拡大解釈を見て見ぬ振りしている(または気づいていない)のです。
おわり
議論の1つの本質は「就活の有意性」というところに帰結すると思います。
就職活動はそれまでの人生で経験する受験(あるいは部活動での大会など)と違って、試験のような絶対的な尺度が存在しません。(部活動にも勝ち負けや記録という尺度がある)
それゆえ面接で人間性やコミュ力のような曖昧な尺度を不確かな方法で見極められる。
「今まで見てきたこういう要素を持った人は優秀だったので、
この人は優秀な可能性が高い」
「常識で考えて、この人は○○だからおそらく仕事できない」
みたいな、(個人または集団の経験による)統計的な判断によって振り分けられるのです。
そんなものである以上、その基準に偏見的なバイアスがかかってしまう可能性だってあると思います。
(妥当な判断だと言えることがほとんどかもしれないけど)
新卒一括採用の就職活動というものは日本特有のもので、そのキモさというものはよく議論されますよね。
「就活狂想曲」
その「キモさ」の根源となる要素は色々とあるかとは思いますが
この不確かで非科学的な採用基準に必死に食らいつかなければならない所にも
1つ原因があると思いました。