かぴくそソーシャル日記

引っ越し中。http://newrelativism.hatenablog.com

「成長」という言葉が嫌い

必死な人や真面目な話に対して「なんかダサい」「気持ち悪い」という感情を持ったり、抵抗感を抱く人は多いのではと思います。

以下のような事は無気力至上主義のような共通する感情に起しているのではないでしょうか。

 

・中学の英語の授業で発音がめっちゃ良い奴を馬鹿にする

・体育の授業で必死にならない

・「意識高い系」の大学生を馬鹿にする

・友達どうしで政治の話題を避ける

・逆に無気力がかっこいいと思う

 

・「成長」という言葉がカルトっぽく聞こえる

 

私は就活をするまで「成長」という言葉が気持ち悪くて大嫌いでした。

そんな自分の就活の軸は「自己成長」

 

今思うと、私は学生時代から無気力キャラで、本気出せば出来ると信じてた。

さらには友達がいない時は「友達」って言葉を気持ち悪いと思っていた時さえありました。

 

「成長」を忌避していたのも、無気力キャラな自分の悪い習慣だったのかもしれないと思ってきています。

(でも私は無気力キャラは今後も維持していきたいのかな。)

 

こういう無気力至上主義(不真面目至上主義)ってどこからやってくるのでしょうか?

私の場合は、本気で勝負する事に対する「逃避」の感情だったと思います。

 

 

 

一方で、「成長」という言葉はやはりカルト的だと思う、理性的な考えもあります。

実際、私が「成長」を考えらきっかけとなった就活という物が気持ち悪いと言われたり、批判されたりしますよね。

ワークライフバランスが主張されてきたり、仕事第一の社会も変わりつつある事が背景にあると思います。

 

 「就活狂想曲

https://m.youtube.com/watch?v=M6rb6kknj3A

 

 

そもそも問題は、「成長」という考えの前提条件として

人間丸ごとの価値に優劣がある

という考えがある事が、議論の争点になりうるのかなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

これから、自分自身がどう考えてどう生きていくのか

 

人間そのものを成長させたい

単純にそう考える前に、

 

この背景にある自分の考え方

①真面目さを嘲笑する無気力至上主義

②人間の価値の多方向性を認識する考え

 

を整理する必要があると思います。

 

進路

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一日飛んでしまいました_(:3」z)_

 

就職活動、ある人に相談したら説教されたというか、ボロカスに言われて少し凹みました。

 

就職活動のきつさって、自分自身トータルの能力や価値と向き合う辛さだと思います。

 

私のようなモラトリアム人間は高校・大学のたあいだ、自分の取り柄のなさに対し、「平等」などという舌触りのいい建前を口実に向き合ってこなかった。

 

社会人の20%は、自分の事を天才だと思っているらしいですね。

そうやって、「本当の自分は出来るんだ」と思い込む傾向は私も強いです。

 

でも少なくとも、自分のダメさってのは理性では理解しているんですよね。

でも、自分の「現在」は否定できても、「過去」「未来」を否定するのはキツすぎる。

 

「過去」はともかく、そろそろ自分の可能性に見切りをつけて、自分の人生に妥協する時期が来たのかなという葛藤に悩まされます。

これが、アイデンティティの確立と言うやつですかね。無限の可能性がある若者、の間は自己がまだ出来てないのかも。

 

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なんか、抽象的すぎますね。

具体的に悩んでいることは、これからどうするかって事です。

 

・留年するか→可能性を追求する

・ギリギリまで粘るか→見切りをつける

 

留年するなら…

・ゼミを移るのか

・ゼミに留まるのか

 

早く決断しなければいけない。

 

 

Internet社会学

 

全国の社会学部の皆様!\\٩( 'ω' )و ////

 

社会学を専攻する者にとって最大の命題がありますね!!

 

それは究極の謎。

 

 

 

 

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わい「僕社会学部なんです〜」

他「へぇー」

社会学って何?」

 

ってやつ

 

 

大学に入学した当初、「君たちのうち半分は社会学が何か分からんまま卒業する」

って言われたのを覚えてます。

 

カス大学ですやん( ^ω^ )

 

 

まあ、社会学の定義というか、そういうのは色々あるんだと思います実際。

これまで聞いた説明の中で一番分かりやすいものが…

 

👳‍♀️「社会学の定義は大きく二つあるんですよ。

①尊大なやつと②謙虚なやつ。①尊大なほうは、経済学や政治学のようなものも含めた、社会を調べるものすべてを指す。②謙虚なほうは、社会を調べる学問のなかで経済学などでは扱わない部分ニッチ部分を扱うものを指す。」

 

<画像>

○○

 

 

分かりやすい説明。

 

しかし私も3年間仮にも社会学を勉強してきて、「社会学ってこんなんかな」と思うところがあります。

それが「社会学は人間の生態学」という考え方。

これは社会学を定義的に必ずしも網羅するものではありません。

<画像>

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しかし、こういった考え方で取り組めばもっと身近でポピュラーな学問になっていくのではないかなと思いました。

 

 

 

 

 

 

さて、そういう視点でいうと社会学ってどんなんなのか。

既存の物ですでにあるのが「仕事の社会学」「地域社会学

こういう枠組みをつくって、社会を観察し記述してゆく。

その方法としてポピュラーなのが文化人類学の系譜を踏んだ「参与観察」の手法だ。

 

有名なのが「暴走族のエスノグラフィー」ですね。

 

https://www.amazon.co.jp/暴走族のエスノグラフィー―モードの叛乱と文化の呪縛-佐藤-郁哉/product-reviews/478850197X

 

 

 

 

でも私思ったんです。

「これ、暴走族が書けば良くね?」

 

 

そこで Internet社会学 というのを確立したいと思いました。

 

みんながネットで、それぞれが所属しているコミュニティのことを観察し、記述する。

それは論文になって無くても良いんです。

 

それを「データ」として、使いたい人が使って、論文にしたり、ビジネスに使ったり。

 

そういうものが出来ればなあと思いこれを立ち上げようと思いました。

 

 

 

現状今の私ができるのが

①無料のwikiサイトでみんなに書き込んでもらう

→②自分の「Internet社会学」のページを更新

こういう風なものを一旦作ります。

 

 

こちら>>>>>

https://internetsociology.amebaownd.com

 

 

 

思考体力

 

私は考え事をする事が多くて、人生振り返ると考え事してた時間が一番長いんじゃないか、って思います。

 

イヤホンで音楽とか聞いてても、本当に聞いてるのは一、二分でそこからもう思考というか妄想の世界に行ってしまう。

 

そこでこんなツイートを見ました。

 

 

 

 

ひらめきメモ さん 自分は一番好きなツイッターユーザー(?)ですね。なんかこう、痒いところに届く感じ。

 

また、これに対する反論を見かけました。

 

 

http://d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/touch/20130123/p1

同じ思考を繰り返す時点で、その人間には思考力がないし、ましてや思考を続ける能力(思考体力)もねーって。

思考が本当に進んでいるんであれば、同じところには二度と戻らない。戻ったように見えても、前提条件やその他の条件が変わって戻っているので、同じところに見えても別のところ。螺旋を上っている状態。ところが、単にバカがぐるぐるしているだけであれば、同じところに戻っているだけで、螺旋は一つも昇っていない。これが、ただの優柔不断のバカと思考体力がある人間の本質的な違い。


螺旋を一つも昇っていない人のために情報のインプットとアウトプットをしろとか書いているけど、思考力がある人間であれば、それまでの経験から、必要なインプットとアウトプットを拾ってきて思考に入れる。本当に思考体力がある人間であれば、それまでにため込んだ経験や知識も相当に上るので、わざわざインプットとか言わなくても中にあるし、必要ならどこにその情報があるかすら考えて自分で見つける。そのプロセスこそが思考なので、人に言われて、ああ、インプット大事!とか言い出すバカは思考体力ないってことを自白してるみたいなもの。

私の友人にも何人か、これは化け物レベルの思考体力持ってるよね、って人がいるけれども、そういう人間は、考えすぎたり悩みが多かったりしない。次々に悩みを解決して答えを出すんだけどさらにそこから問が発生するって感じであって、一つの問いを巡って堂々堂々堂々堂々巡りするような人ではないです。仮にそういう人が堂々巡りする問いがあれば、それは常人には、問題の所在すら理解困難な問いだったりします。

 

 

なるほどなって感じ。

 

 

 

私いままで正直、「考え事してる時間が長い自分は、思考力に優れている。つまり天才だ!」とか割と真面目に考えてました。

 

ところがどっこい、就活というのは素晴らしいです。

これまでの自分の中二病ぶりというか、叩きのまされますね。

コンサルの選考とか行くと、自分のアホさを痛感しました。

 

 

で、上二つの主張を見て自分に照らし合わせて考えてみました。

その結論がこれ

①思考する体力はある(考え事が多い)

②思考がループしてぐるぐる回る(結論が導かない、進歩がない)

→その原因は?

❶記憶力の欠如

❷感情的に「結論」を認めたくない

 

 

 

つまり、自分は思考がループするタイプのアホだと。

 

しかし、その原因は何か?

例えば「彼女に告白すべきか?」という問題に対して考えてるとする。

この場合○か×の二択だが、それぞれの選択をし支持する要因がある訳だ。

 

例えば気まずくなるかもしれないから×とか。

通常は(頭のいい人間の場合は)それぞれの要因を集めて、論理的に展開していくことで双方の重要度を測り、二つを比較検討する事で結論が出せる。

 

しかし、そうならず悩んでしまう原因が❶❷である。

 

 

❶の記憶力の欠如

は、考えてるうちに要因が何があったか忘れたり思い出したりして思考が堂々巡りすること。

❷の感情の干渉

は、「告白するの怖い」という感情が干渉して、論理的な判断ができないこと。

 

 

 

 

こういうの考えてるうちに、自分の「思考力」というのが何たるのかが見えてきた。

 

結論でいうと「帰納的で感情的な思考力」だ。

ちょっと意味わからんですかね(笑)

 

正直、私は思考力においては特筆すべきものがあると思っています。

身の程知らずですいません。

 

でも、そこで負けたくないんです。どうしても。

 

だって自分が一番かけてきたものだから。それを失うと自分は空っぽです。

 

 

 

 

毎日投稿します。

 

私、関西の某私大の社会学部に所属している四年生です。

 

就職活動に失敗しました\\\\٩( 'ω' )و ////

 

 

 

売り手市場と言われる最中、大手病に感染して重篤患者になり、人工呼吸器で息をしているのが現状です。🛏

 

失敗した理由…

自分に足りていない物は何かと、思い浮かぶ事は山のようにあるのですが

 

 

テーマは    「 アウトプット力 」  としまして!!

 

いや、一つアウトプット力がないなと思ったので(面接で指摘された)

 

つまり、自分の頭の中にある事を表現する力が致命的にない。

ちなみに私は考える事が好きで、それが自分の本質だと思っています。

 

 

というわけでこのブログを毎日投稿していく事にしました。

 

拙いブログですが、コメントくださればとても嬉しいです。