思いつきの掃き溜め

自分の考えとかをアウトプットしてます。気軽にコメントしてね

25歳、彼女いない歴=年齢。

 

どうも、コンプレックスこじらせおじさんです。

 

最近 人生4度目の振られ と言うのを経験しました。

遠くに住んでる子で、2年くらい彼氏居るなか片思いしてた。きもいな俺

先日振られたらしくその3日後くらいに実は好きやねん的なことを言ってしまう。

頭悪すぎわろた

 

結局振られるけど

なんかとにかく会いたい!という発作的ななにかに駆られて

 

夜行バスで土曜の晩に出て、「いま仕事で(嘘)○○県におるねん、会われへん?」とLINEする。既読なし。

2日間、ただ返信を待ちながらスタバとネカフェを梯子してまつ25歳ストーカーのわい。

住所を聞いてなくてよかった。いや、聞いててもさすがに行ってないけど。

 

むしゃくしゃして、初めてデリヘルを呼んだら

写真とは全く違う山姥みたいな見た目の女性が来ました。カタコト日本語を話す人。

なんやかんや言って有耶無耶にして帰ってもらえた。

でもその山姥みたいな人、めちゃええ人やって余計萎えた。

いつも通りAV見てシコって寝ました。

 

月曜、「○○駅のスタバで待っとるわ」と恐怖のLINEを再度送り、花屋で花束を買って待つストーカーのわい。

 

月曜の晩、夜行で帰って来て仕事へ直行してます。

こんな僕でも今は営業してます。

朝一の客先の用事を終えて、サボりなう。

 

世の中そんなもんか。

9時からちゃんと働こ。

 

頭の中を彼女が占領している。

ええ歳して何言ってんだか

 

ああ、もう一回だけ会って話たかった

まあ会ったら会ったでもっと一緒にいたいとか

あわよくばヤリたいとかそういうの感情になるんやろなどうせ

 

ゴミみたいな、誰にも言えない感情(というか事実)

を吐き出して

今日もしらこい顔で営業回りたい。

 

負け犬の戯言

 

どうも

この時期まで就活してる4回生の負け犬ですお

 

今日電話あって、やっとこさ内定一個もろた

 

父親に「あんまええとこちゃうけど、しゃあないな」と言われる

まあまあショックやったお

 

本当、迷走しまくった自分を支えてくれた父には感謝している

 

と口先でいいつつ愚痴こぼすクズでした。

うぇっ

1ヶ月滞在で感じた中国。日本と違うところ22選

 

1.日本のトイレは小便臭い。中国のトイレはウンコ臭い。

 

2.至る所に警察官がいる

 

3.至る所で持ち物検査がある(とくに北京)。まあまあザル。

 

4.電子マネーが発達している。屋台にもQRコードがある。

 

5.働く人や道行く人が平均的におおらか。悪くいうと雑。

 

6.まあまあ英語通じない。駅員と銀行員くらい

 

7.バカでかい建物だと思うとだいたい銀行。大連中山広場の旧日本建築もだいたい銀行。

 

8.制服組(公務員?)の女性比率が高くて若い。

 

9.ユニクロと無印は高級ブランド

 

10.マクドケンタッキー等ファーストフードは安くない。

 

11.他人でも喋りかける。やたら中国語で話しかけられる。

 

12.スマホのボイスメッセージの使用率高

 

13.赤の他人に「荷物見といて」をやる

 

14.接客がゆるい。ヒマワリの種食いながら接客とかする。

 

15.銀行窓口に利率書いてるアレがある。なかなか良いレート

 

16.並んでる時油断すると抜かれる

 

17.「Ctrip」で大体なんとかなる

 

18.「Yes」という意味の「ドゥイ(对)」という言葉の多用。共感が増してきて力入ってくると「ドゥウエ!ドゥウェエエ!」ってなっていく

 

19.メシはバカうまい。(中華好き)。安い。よくわからんけどうまいやつがいっぱいある。飲茶がうまい

 

20.ビールは常温

 

21.建設・道路工事の多さ。地方都市で顕著(長春とかハルビンとか)

 

22.果物がめちゃ安い。日本の10ぶんの1とか

 

紆余曲折あったけど、結局このブログで発信することにした。

 

ある人に言われた「社会人になったら、アウトプット以外全く評価されない」という言葉から、自分の考えとかを発信しようと始めたこのブログ。

はてなIDが気に入らんくて移行しようと試みましたが結局、このURLで発信する事にしました。

 

僕の意見、持論にまみれた話を中心に、これからやっていきます。

 

帰納的思考と演繹的思考

 

「考え方」には大きく二つあります。

結果から分析する「帰納」と、理論を組み立てて推論する「演繹」です。

私は考える事が好きで、妄想癖があるタイプなのですが、どうやら帰納的な思考を好む傾向にある模様です。

 

その特徴としては

・フィーリングを大切にする

・頭ではまとまってるのに言語化出来ないことが多い

・決断力がなく優柔不断

・感情に左右されると判断を誤りがち

・物事の共通点を見つけるのが好き

 

あくまでも私の事例ですので、どこまで「帰納的思考」と関連があるのかは推測でしかありません。

 

信頼の演繹

一方、数学や科学って基本的には演繹ですし(だよね?)、なんとなく演繹の方が信頼度の高い思考であるように思います。

 

その具体的な手順としては…

まず、演繹的思考は基礎となる理論からスタートして枝葉を伸ばしていく。数学ならユークリッドで、哲学なら「我思うゆえに我あり」で、経済学は合理的経済人がその基礎になる。あと、私が専攻してた社会学ではそういった基礎のことをgrounded theoryと呼ぶ。

枝葉の伸ばし方は三段論法を用いる。三段論法とは、「AならばBである」と「BならばCである」の2つの命題から「AならばC」であるという命題を導き出すやつ。こういったプロセスを追求したものが論理学である。このプロセスに欠陥があると「論理が飛躍してる」と言われたり、このプロセスを作り上げる能力があることと「論理的思考力が高い」こととはほぼ同義であったりする。

詳しいことは『論理トレーニング101選』で。おすすめ。

 

こう言う風にそれぞれの基礎から積み上げられた理屈の体系が各々の学問だと、理解していいと思う。

理系の学問は基礎が揺るぎないものが多く、高く高く積み上げられている。対して文系、とくに社会学などはその積み上げが低く、小さいのが林立しているような感じ。

 

 

前近代的(?)な帰納

対して帰納数学的帰納法を高校で習ったように、科学の方面でも帰納法が用いられることもある。あと、帰納の王様といえば統計学である。近年はインターネット、ビックデータの普及によって統計学が注目の的だ。

 

ただし、統計学以前にも、いわゆる「勘」というやつも帰納的思考の産物であると思う。思う、というかそうである。

よく、テレビ番組の「ほこ・たて」みたいなやつで「熟練の職人vs最先端の科学」みたいなのをやっているのを見る。こーいう熟練の職人の持つ「勘」って、一見全然科学的じゃないように見えるし、科学の方を信頼するほうがより理性的であるようにも思う。

一方、人情として職人を支持したいと思ったり、はたまた職人のほうが勝つこともしばしばある。これは、職人の「勘」って、その人の膨大な記憶された経験から割り出された判断だったりする。

これって、統計学が膨大な数量データから判断するのと同じだ。それがなぜ科学と無縁な感じがするのかは、それがただ言語化されぬまま個人の頭の中でぼんやりと存在する「勘」に留まってるからである。

 

なんか、話が逸れたがつまりは経験と言う名のデータを用いて、人は太古の昔から統計学と似たことを頭の中でやってるのだ。もちろん、統計学と違ってその主観から生じる色々な欠点があったりするが。

 

 

 

それぞれのメリットデメリット

 

演繹的思考は信頼度が高い。2つの命題が真なら、3段論法で導かれる命題は確実に真になる。

帰納的思考はどこまでいっても「かもしれない」である。統計に100%はありえない。有意水準でお茶にごすことしかできないのだ。(←怒られそ)

それでも帰納の方が重宝される。統計学はこれからの最強の学問だ。なぜなら、ぼくらは演繹ではどうしようもない、社会という複雑なモノに立ち向かわなければならないからだ。「我思うゆえに我あり」から「10年後の日本の景気を予測せよ」と言うレベルの話だ。無理。

でも帰納ならまだちょっとは、できる気がする。これまで景気の波を見たりとか。

その希望を大きくしてくれるのがビックデータだ。

100%になれない帰納を、ビックデータは限りなく100%に近づける手段になる。これは帰納の信頼度が演繹に果てしなく近づくということ。

例えば、これまで合理的経済人から演繹してきた経済学が統計を用いた計量経済学に圧倒されつつあることからもうかがえる。

 

演繹を主に発展してきた科学だが、これからは帰納を主に統計学が世界を牽引していくのだろう。