南京大虐殺記念館へ行きました。
南京大虐殺記念館、正確には「侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館」といいます。
私は9/16日(土)にここへ訪れました。
⬆︎こんな所にあります。南京市内からバスで行けます。
黒の線は元城塞都市であった南京のかつての城壁(てきとう)。
ちなみに、それまで私は既に約20日ほど中国各地に滞在しており(主に東北)、「それ系」の記念館等へは7箇所くらい行ってます。
南京では僅か2日の滞在でしたが、この南京大虐殺記念館は私の旅にとってもある意味メインでした。
さて、南京大虐殺とは
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/南京事件_(1937年)
「南京事件(なんきんじけん)は、1937年(昭和12年)12月の南京戦において日本軍が中華民国の首都南京市を占領した際、約6週間もしくは最大で2か月以内にわたって、当時の日本軍が中国軍の捕虜、敗残兵、便衣兵、そして南京城内や周辺地域の一般市民などに対して殺傷や暴行を行ったとされる事件。」
また、2015年にユネスコの世界記憶遺産に登録され
第二次世界大戦における日本最大の戦争犯罪として世界的に認識されています。
一方日本国内ではその死者数などについて論争があると言われています。
さて、それではその南京大虐殺記念館へ行ってきたのでその展示物について
記事を読んで頂いた皆様と共有してみます。
こちらの地図でいうと左上部分から入場。入り口では、中国のほとんどの公共施設である手荷物検査をくぐります。
こちらでパスポートを見せて場内へ。入場料は無料です。ありがたい。
入り口付近には土曜であることもあり、中々の人の列がありました。
入ってすぐこのような金属製のオブジェが。
右側に見えるコンクリートの建物が記念館です。
私自身、中国の「それ系」の記念館ではこういったオブジェをたくさんみました。そして記念館の外装もどれも似た感じです。
ちなみにこの像は幼い我が子を殺され、嘆く母親の像。バスを降りて少し歩くと、この巨大な像が真っ先に見えてきました。
この像の説明文には「The devils aircraft bombed again•••」と記されています。
「devil」とは日本のことです。
また、空襲の事を彫刻していますね。このことから、中国側の目線からは南京大虐殺に戦略爆撃も含まれていて、その死者も南京大虐殺の犠牲者数に含めているのでは?と思いました。
このような塑像が5点ほどありました。
順路に沿って次へ、先ほどの館内(史料陳列ホール)へ入ります。
入場しての私の感想としては、かなり「南京大虐殺にフォーカスしているな」という事でした。
まあこれまでの記念館等では、中国の歴史観に沿って日清戦争あたりから戦後までみっちりと記述や写真が並べられていましたので。
また、この記念館の意図として「証拠品を残す」というものも(私見ですが)感じました。
でもやはりその「証拠」は日本の調査によるものや、日本軍が残したものが多い。中国では最近まで、歴史検証をする余裕がなかったのでしょう。
しかしながら、記念館を眺めるだけで、南京大虐殺についてかなり詳しい所まで調べられている事(それは日本の学者のものかもしれませんが)が分かります。
この写真は、虐殺があった場所が記された地図です。
また、この記念館が「証拠を残す」意図であると感じるのはこういう所。
2枚目の写真は南京大虐殺の生存者の証言を調書にしたもの。
これはなかなか日本で見ることのないものですね。
反射して写ってる(-ω-;)
それにしても、休日ということもありなかなかすごい人でした。
欧米各国の対応ということにかなりフォーカスしているな、ということもこの資料陳列ホールで感じた印象の1つでした。
元首相の鳩山ぽっぽ先生
南京に来た鳩山元首相を非難するような言説もありますが
でも、「手を合わせる」ていう行為はイデオロギーを超越していて
本当に平和に直結する尊い行為だと思います。(私みたいなんが言うのもなんですが)
例えば私とかが日本人を代表して南京で謝罪なんていう大それたことをしたとすれば、色々な考え方から批判されたり賞賛されたりするでしょう。
でも、手を合わせて死者を弔うことは
する人、その対象を全く問わないものだと思います。
…
展示館も終盤へ。
記念館はどこも「結束語」でおわります。
こんな感じですが敷地内のうち、この資料陳列ホールはかなりまとまった印象でした。
次に遺跡区へ。
遺跡区にはこんな石碑がたくさんあります。
見ての通り日本語訳付き。
この石碑は南京大虐殺の内訳とでも言うべき、それぞれの地域での「遇難」または、集団埋葬地の記念碑として1つづつ説明しているものです。
それぞれの碑の名称は以下の通り。見る限りでは15個ありました。
・燕子磯江灘遇難
・草鞋峡遇難
・正覚寺遇難
・清涼山遇難
・北極閣付近遇難
・挹江門叢葬地(叢葬地は、複数の死者がまとめて葬儀された場所のこと)
・五台山叢葬地
・金陵大学難民収容所
・東郊叢葬地
・花神廟一帯叢葬地
・普徳寺叢葬地
・上新地区遇難
・中山埠頭遇難
・漢中門外遇難
・魚雷営遇難
また、その先には名前が記された石碑が。
ざっくり数えたところ、3000名弱の名前がありました。
そのまま順路で進むと、「遺骨館」と「万人坑遺跡」(それぞれ別の建物)へ。
遺骨館は少し地下に降りるところでした。
こうして当時の生々しい間近で遺骨が見られます。
万人坑遺跡は50坪くらい(記憶あやふや)の地面が露わになったところを
ぐるりと一周まわれるように建物が建っています。
地面には大量の人骨が見えます。
一部では人骨がこのように層になって折り重なっていることが見てとれます。
これについて「階段式に交差して折り重なって埋め立てること、7層に及び、正常ではない死亡の後、慌ただしく集団埋葬したという性格を表している」という説明がありました。
こうして日本の左派勢力(?)の活動にもフォーカスした取り組みを見られると
ただ憎悪感情を煽っているのではないんだなとホッとする感じがしました。
この万人坑遺跡は、1998年にこの記念館の敷地内で遺骨が発見された事に発するものだそうです。
参考 : 青木茂「万人坑を知る旅」HP
→http://miyosi.webcrow.jp/dd6.htm
記念館終盤は慰霊施設のようになっていました。
この奥には慰霊の炎があったりと、広島長崎とも似た雰囲気。
だれもこの先まで行って拝んでる人はいませんでした。私は1人で行きました。
この平和の像、みたいな所で施設は一旦おわり。
ここまでの感想、来てよかったと思いました。
正直中国のこういった、歴史施設はたくさん行っていて、どこも似た雰囲気で少しうんざりし始めていました。
しかしこの南京に関しては南京事件にフォーカスし、豊富な資料で裏打ちされた愛国教育っぽさの少ない印象が素晴らしかった。
ただ…
ここで終わりと思っていたら、順路に進んだ先には「三个必勝記念館」という愛国主義教育施設が。
正義必勝・和平必勝・民族必勝 だそうです。
まあこの手の施設では歴史施設と、その隣に愛国教育施設というセットがお決まりのようです。
こういう流れで拝観すると、
南京大虐殺などの暗い歴史を見て陰鬱な気分に
→ 正義の共産党による勝利で明るい気分に
みたいな感じでパァッと明るいような、解放感を味わえて
より有効に愛国心や共産党・国民解放軍に対する忠誠心を育めるようになっているのだと感じました。
日本の歴史教育の中でも、第二次世界大戦の暗い歴史から戦後の民主主義 のように
暗い歴史→明るい歴史=現代 みたいな流れになっていて、
まさに「解放感」みたいなのを感じたことを覚えています。
伝わるかなこのニュアンス…(-ω-;)
まあそんな事でこの辺にします。
史料陳列ホールの展示内容について、正直あまりしっかり見れてない事もあって(写真ばっか撮ってた)
考察が薄っぺらいのは承知です。
申し訳ありません。
また機会があればより詳しく書き直したいですね。
おまけ
美味しいものがいっぱいあるのも、南京という都市の特色。
画像は「南京ダック」(多分)
南京大虐殺記念館もそうですが、南京の観光地では日本語対応が多く、日本人観光客の受け入れ体制が盛んです。
ただ、少なからず反日感情はありますが…
まあいいところですよ。