思考体力
私は考え事をする事が多くて、人生振り返ると考え事してた時間が一番長いんじゃないか、って思います。
イヤホンで音楽とか聞いてても、本当に聞いてるのは一、二分でそこからもう思考というか妄想の世界に行ってしまう。
そこでこんなツイートを見ました。
考えすぎる、悩みが多い…っていう悩みがあるとしたら、それは「思考体力」っていうすごい才能だから、その才能を有効に活用した方がいいよ、というお話。 http://t.co/CI3mWBJm6H
— ひらめきメモ (@shh7) 2013年4月15日
ひらめきメモ さん 自分は一番好きなツイッターユーザー(?)ですね。なんかこう、痒いところに届く感じ。
また、これに対する反論を見かけました。
http://d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/touch/20130123/p1
同じ思考を繰り返す時点で、その人間には思考力がないし、ましてや思考を続ける能力(思考体力)もねーって。
思考が本当に進んでいるんであれば、同じところには二度と戻らない。戻ったように見えても、前提条件やその他の条件が変わって戻っているので、同じところに見えても別のところ。螺旋を上っている状態。ところが、単にバカがぐるぐるしているだけであれば、同じところに戻っているだけで、螺旋は一つも昇っていない。これが、ただの優柔不断のバカと思考体力がある人間の本質的な違い。
螺旋を一つも昇っていない人のために情報のインプットとアウトプットをしろとか書いているけど、思考力がある人間であれば、それまでの経験から、必要なインプットとアウトプットを拾ってきて思考に入れる。本当に思考体力がある人間であれば、それまでにため込んだ経験や知識も相当に上るので、わざわざインプットとか言わなくても中にあるし、必要ならどこにその情報があるかすら考えて自分で見つける。そのプロセスこそが思考なので、人に言われて、ああ、インプット大事!とか言い出すバカは思考体力ないってことを自白してるみたいなもの。私の友人にも何人か、これは化け物レベルの思考体力持ってるよね、って人がいるけれども、そういう人間は、考えすぎたり悩みが多かったりしない。次々に悩みを解決して答えを出すんだけどさらにそこから問が発生するって感じであって、一つの問いを巡って堂々堂々堂々堂々巡りするような人ではないです。仮にそういう人が堂々巡りする問いがあれば、それは常人には、問題の所在すら理解困難な問いだったりします。
なるほどなって感じ。
私いままで正直、「考え事してる時間が長い自分は、思考力に優れている。つまり天才だ!」とか割と真面目に考えてました。
ところがどっこい、就活というのは素晴らしいです。
これまでの自分の中二病ぶりというか、叩きのまされますね。
コンサルの選考とか行くと、自分のアホさを痛感しました。
で、上二つの主張を見て自分に照らし合わせて考えてみました。
その結論がこれ
①思考する体力はある(考え事が多い)
②思考がループしてぐるぐる回る(結論が導かない、進歩がない)
→その原因は?
❶記憶力の欠如
❷感情的に「結論」を認めたくない
つまり、自分は思考がループするタイプのアホだと。
しかし、その原因は何か?
例えば「彼女に告白すべきか?」という問題に対して考えてるとする。
この場合○か×の二択だが、それぞれの選択をし支持する要因がある訳だ。
例えば気まずくなるかもしれないから×とか。
通常は(頭のいい人間の場合は)それぞれの要因を集めて、論理的に展開していくことで双方の重要度を測り、二つを比較検討する事で結論が出せる。
しかし、そうならず悩んでしまう原因が❶❷である。
❶の記憶力の欠如
は、考えてるうちに要因が何があったか忘れたり思い出したりして思考が堂々巡りすること。
❷の感情の干渉
は、「告白するの怖い」という感情が干渉して、論理的な判断ができないこと。
こういうの考えてるうちに、自分の「思考力」というのが何たるのかが見えてきた。
結論でいうと「帰納的で感情的な思考力」だ。
ちょっと意味わからんですかね(笑)
正直、私は思考力においては特筆すべきものがあると思っています。
身の程知らずですいません。
でも、そこで負けたくないんです。どうしても。
だって自分が一番かけてきたものだから。それを失うと自分は空っぽです。